東大卒、電通社員の自殺と労使の非対称性

電通の社員自殺の件、ショックが大きくてニュースを追ってしまう。

東大を出て電通というのは、傍目にはすごく成功したコースだし、実際に私が大学生の時にも、電通博報堂すごい!かっこいい!クリエイティブ!みたいな空気はあったように思う。新卒で入社した誰もが知る大企業を、一年もせず辞めてはいけない、みたいなプレッシャーもあっただろう。そして、これだけ非正規雇用だとか貧困とかが問題になっている昨今、もしかしたら周りの人から、「言っても電通でしょ、やりがいある、はなやか大企業でしょ」みたいに思われている、というプレッシャーも感じていたのではないだろうか(実際に周りの人がそう思っていたり、彼女に対してそう表現していたかは別として)。

そしてこれまでに努力して成功体験を重ねてきた経験が多い人ほど、 うまく行っていないのは自分の努力が足りないからだ、努力すればできるはずなのに…と、長時間労働のスパイラルに自分を追い込んでしまうのではないか。

私は新卒で入社した大企業を早々にドロップアウトしたけれど(長時間労働とかではなく、単に自分には適性がなさすぎると思ったからだった)、電通みたいな所謂「きらきら企業」ではないその会社を辞めようとする時ですら、周りの人には本当にいいのかとか、色々言われたな、あまり覚えてないけど…。

鬱と自殺にまで至らしめる長時間労働と、許しがたい(でも驚くほど普通の顔をして存在する)パワハラ、セクハラの問題性はいうまでもないけれど、有形無形のプレッシャーというのもまた、人を追い込む原因になるのだと思う。それをつくりだしているのは、同調圧力の強い日本の社会だと行ったら話が大上段になりすぎるかもしれないけれど…。

そして「残業月100時間で自殺するのは情けない」と書いた大学教授、「起業した人は寝袋を持ち込んで仕事に打ち込んだはず」とも書いていたけれど、それは、自分で起業したならばそうだろう。でも会社員というのは、起業家のように会社の方針を自分で決められるわけではないし、会社との労使契約を結んで働いている。会社の仕事であれば、意に反してもやらなければいけないし、上司の命令に逆らうことができない。そこには明らかな労使の非対称性、つまり、使用者側と労働者側の力の格差(もちろん使用者側が圧倒的に強い)とでも言うべきものがある。だから、使用者側の権力のもと労働に従事せざるを得ない労働者(会社員)と、自分の働き方、内容についてどうとでも自分で決めることのできる「起業した人」とは、決して、同じ地平で論じられないものだと思う。

その前提があり、ともすれば会社側がその権力を使って労働者側に不利益を押し付けようとする事案が多々あったので、日本の法律では労働者側に保護を与えているはずだと思うのだけど、まあ実際に形骸化している法律も多いし、先の大学教授の発言などのようなものを見るにつけても、その前提が浸透していないのだな…と思います。